「代わりにはなれない。
けれど、その思いには寄り添える」
かつて私は、東京慈恵会医科大学附属病院の神経内科で、正看護師として勤務していました。そこにはALS、アルツハイマー病、ギラン・バレー症候群など、難病や重い症状と向き合う患者様が多くいらっしゃいました。
望んだわけではない病を背負い、行き場のない怒りや葛藤、絶望を抱える方々。新人だった私は、何を言えばよいのか分からず、戸惑うことも少なくありませんでした。けれど、日々そばにいる中で気づいたのです。必要なのは、簡単な励ましや正論ではなく、まずその人の思いを、ありのまま受け止めることなのだと。
代わりに苦しむことはできない。
でも、その人が抱えている思いに共感し、ひとりにしないことはできる。
その後、介護の現場や終末医療、看取りにも携わりました。認知症が進んでも、「寂しい」「嬉しい」「悲しい」という感情は消えません。言葉や記憶のさらに奥に、その人らしさや魂のようなものは生き続けている——そう感じる場面を、何度も経験しました。
苦しい思いを分かってくれる人が近くにいること。胸の内にたまった毒や愚痴を外へ出せる場所があること。それだけで、人は少し呼吸を取り戻せます。この経験が、のちにホオ・クオレを立ち上げる原点になりました。